Rion Hiragi/Resercher/Storyteller

〜 No.131 信仰と真理のどちらを取るか・コペルニクスの葛藤〜

皆さまこんにちは。

 

今回と次回は、秋の大人の教養編ということで

宇宙観の変遷を、中世ヨーロッパの天文史からご紹介します。

 

今回のメルマガは長いので、教養をたしなみたい方だけお読み下さい ^ ^;

 

 

今日取り上げるのは、コペルニクスです。

パフォーマンスが派手なガリレオのおかげで影が薄くなりがちです

最初に【地動説】を唱えたのは

ガリレオじゃなくてコペルニクスですよね。

 

そのコペルニクスの、何がすごいのか......?

 

太陽の周りを地球が回っている事実を発見したことはもちろん

絶対的な力を持つ「信仰」と「学問の真理」の板挟みに葛藤しつつ

【宇宙の真理】を世に知らしめた実績が、すごいのです。

 

 

少し、天文学の歴史を紐解いてみましょう。

 

時代は古代ギリシャ(B.C.4世紀)まで遡ります。

ここではアリストテレスが

「地球が宇宙の中心でありその周りを全ての天体が円を描いて回っている」

という天動説を唱えます。

 

同じ頃、同じギリシャのアリスタルコスは

月の大きさから「地球ではなく、太陽が中心だ」

という地動説に近い理論を発表するのですが

その後コペルニクスが現れるまで

この説はお蔵入りになってしまいます。

 

勢いづくのは天動説です。

 

同じ古代ギリシャのプトレマイオスが

1世紀頃に『アルマゲスト』という

天動説を体系化したテキストを作ります。

 

驚くのがその精緻さです。

私たちが想像するような、地球の周りをただ惑星が回っている

シンプルな絵図ではありません。

 

アルマゲストの天動説では

「惑星は、殻のようなもので仕切られた中で円形に動く」

と考えられていました。

 

でも、惑星の動きは不規則ですよね。

天動説は、この動きさえも

それぞれの惑星の動きの中心をずらす事で説明しています。

 

例えば

コペルニクスや次回説明するケプラーも

一番頭を抱えた【火星の軌道】。

 

天動説で、火星の軌道はどう観測されていたのでしょうか?

 

火星は、天球の右から左方向に進むのですが

まっすぐ進んでくれればいいものを

途中でUターンする「逆行」という動きをします。

そしてしばらく「逆行」したかと思うと

今度はまたクルリと向きを変えて再び「順行」します。

 

そしてこの複雑な動きさえ

『アルマゲスト』の緻密な観測データは捉えています。

 

現代観測される火星の軌道を

天動説は、ほぼ違わず再現できるのです。

 

加えて

天動説はキリスト教とも密接に結びついて行きます。

 

「神」という抽象的な理念をどう表すかという時に

アリストテレスの体系によって解釈する流れになりました。

 

つまり

ここで地球中心の宇宙観が、教会公認の宇宙観になったのです。

 

コペルニクス、実は本業が聖職者なんですよ。

 

聖職者って、星占いをしないといけないんです。

星占いするために夜空を観測してたら

その魅力にとりつかれて

すごい事実を発見してしまったのが、コペルニクスなんです。

 

地動説が動き出したのは149733日。

 

コペルニクスは

月が星を覆い隠す「星食(せいしょく)」を観察していました。

すると、月に隠れた1等星のアルデバランが

天動説よりずっと短い時間で月から出て来てしまったんです。

何だか天動説は怪しいな、と感じたコペルニクスは

仕事の合間を縫って観測を続けます。

 

そして15047月。

 

水星、金星、火星、木星、土星の5つの惑星が一列に並ぶ

極めて珍しい現象「惑星大集合」が起こります。

これを分析すると

やっぱり火星は2度。土星は1.5度、天動説と異なっていました。

 

そこで

地球の周りを何層も覆っていると考えられていた

惑星の通り道を一つにまとめてしまって解決しようと考えたのです

またしても問題になったのは【火星の軌道】でした。

 

そこでやっと『コペルニクス的転回』の瞬間が訪れます。

 

それまで地球中心に考えていた絵図を

「太陽中心」に変えたのです。

 

そこから各惑星と太陽の距離を割り出したのですが、

その値は現代と比べてもほとんど遜色ない数値でした。

日柱を観測して、一年が365.2425日である事も突き止めます。

 

こうして地動説を確信したコペルニクスは、まだ30代。

でも、この革新的な理論は

その後40年近く公にできなかったのです。

 

なぜならちょうどこの頃「聖書が絶対である」

という宗教改革が始まっていたからです。

 

世界史のテストでおなじみのマーチン・ルター。

免罪符はおかしいんじゃないの?とか

勇気を持って立派なことを成し遂げたんですけれど

天文学者にとったらかなり面倒くさい存在だったんですよ。

 

ルターは

コペルニクスが友人らに送っていた

地動説に関する手紙の存在を知っていました。

 

そして

「あのバカ(コペルニクスの事)は、

天文学の全部を根底から覆そうとしている!」

と批判しまくっていたのです。

 

そうは言っても

コペルニクスだって聖職者なんですよ。

ここに葛藤が生まれる訳です。

 

聖職者の自分が聖書の教えに反してもいいのだろうか?

「信仰 VS 学問の信念」という人生をかけた葛藤です。

 

コペルニクスが60才になったころ

ローマカソリックの幹部から手紙が届きます。

 

教会は新しい暦を作らないといけなかったのですが

そのためにはコペルニクスのデータが必要だったからです。

でもデータを渡せば、自分は異端者になりかねない……

コペルニクスの葛藤は続きます。

 

 

そして死を間際にした70才の頃、ようやく本が出るのです。

 

『天球の回転について(1543)

 

地動説の発表は

下手をすれば社会がひっくり返るような衝撃をもたらします。

でも、当時それほど糾弾はされなかったんです。

 

なぜでしょう?

 

それは友人で神学者のアンドレアス・オジアンダーが

序文をこう差し替えたからです。

 

「仮説(HYPO)である」

 

本が大きな抵抗を受けるのを避けるための

苦肉の策でした。

 

コペルニクスの死後、この本はヨーロッパ中に広がります。

そして100年後

この本にたくさん書き込みをしていたのがガリレオ。

 

そしてそのガリレオが近付こうとしていたのが

次回紹介するケプラーです。

 

コペルニクスの銅像が立つ台座には、こう書かれています。

 

「地球を動かし、太陽を止めた人物」

 

コペルニクスが偉人である理由。

それは

大きな葛藤を打ち破り、真実を追求していった生き様にあるのです。

 

いかがでしたか?

 

コペルニクス

教科書での扱いをもっと大きくして欲しいと思いませんか!?

 闘うのが戦場でなかっただけで

彼も宗教と学問のはざまで、ずっと闘っていたのです。

 

 

参照:

『ヨハネス・ケプラー 近代宇宙観の夜明け』アーサー・ケストラー

NHK BS『コズミックフロントNEXT

 

 

 

 

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編集後記:

 

コペルニクスとガリレオの大きな違いは

コペルニクスはすごく時代の空気を読む人。

ガリレオは全く読まない人、という事でしょうか ^ ^;

 

みなさんがコペルニクスだったら

世紀の大発見を、どうやって世間に公表しますか?

それとも身の安全を考えて、公表しない??