Rion Hiragi/Resercher/Storyteller

〜柊のメルマガNo.106 持っていないからこそ幸せになれる〜

みなさま今日は。

桜も今日の雨で大分散ってしまいましたね。

 

さて、今回は

「幸せになれる条件」について考えます。

 

あなたは

「何があれば」今よりもっと幸せになれると思いますか?

 

素敵なパートナー?

健康な体?

頼りになる家族?

使い切れないお金?

 

今の自分に、欠けているものは何でしょう。

それが手に入れば、どれだけ幸せになれると思いますか?

 

実は、ここに落とし穴があるんです。

 

私たちは、良くも悪くも「慣れる」動物。

 

インフルエンザで体中痛くて寝込んでいる時は

「もう健康な体があれば何もいらない」

と思えるのに

健康な時は、健康体が当たり前になってしまう。

 

お金もそう。

以前、感情美人学講座に出られた方には

トリックをご紹介しましたが

「お金」ほど根拠なく

私たちの感情を乱すものはありません。

 

長くなるので詳しく書きませんが

ちょっとしたフックで

お金の価値は変わるのでしたね。

 

他にも

 

家族がいる人は

皆に囲まれているのが当たり前だから

一人で生きろと言われれば

不幸のどん底に落ちたように感じるし

 

逆にわたしのように

パスポートの緊急連絡先に

書ける家族がいないような人間にとったら

友人やアメリカの家族(血はつながってませんが)と過ごす

一瞬一瞬がものすごく幸せに感じます。

 

わたしたちは一人一人

違った幸せの「参照点」を持っています。

 

節約に励んでいる家族が

月に一回ファミレスで食事をするのと

単価が1万円のディナーを週に何回か食べる人が

仕方なくファミレスで食事するのとでは

どんな気分で食事するか、大分変わりますね。

 

満ち足りた生活がスタンダードになることで

幸せを感じる「参照点(reference point)」のハードルが

グンと高くなってしまいます。

 

満たされることで

ささやかな幸せを感じられなくなるなんて

ちょっと皮肉ですね。

 

この「参照点」を上から下から

色々な場所から考察できるようになると

「あ〜あ、わたしに◯◯があればもっと幸せなのに」

と現状に不満を感じることが少なくなります。

 

持っていないことが不幸せなのではなく

幸せに気づけないことが不幸せなのです。

 

だから

何か自分に欠けているものがあるとしても

それを嘆く必要はありません。

 

自分に欠けているものがあるからこそ

それに少し触れられたときに

望外の喜びを感じることができるのです。

 

 

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編集後記:

 

先週は、京都で桜めぐりをしてきました。

東山にある「The SODOH」というレストランに伺ったのですが

余りの素晴らしさに外国から来たゲストも大喜びでした。

料理・雰囲気が最高なので、機会があればぜひ行ってみて下さい!

 

https://www.thesodoh.com/