東日本大震災から5年経ちました。
今回は、防災意識を持つ上でとても大切な
『正常性の偏見』『集団バイアス』
について、お話したいと思います。
次のシチュエーションを想像してください。
あなたは市民ホールで講演を聞いています。
すると突然、火災報知器が鳴り響きました。
あなたは迅速に避難行動を開始しますか?
(まだ煙も炎も見えない状況と仮定します)
上記の実験を、先日テレビでもやっていました。
すると、いくら報知器の音が鳴っても
最初の15分ほどは誰も座席を動きません。
1人を除いて全員が避難したのは
30分も後でした。
「なぜ避難しないのですか?」
と尋ねると
「誰も避難してないし、大丈夫と思った」
と答える人が大半でした。
なぜこのようなことが起こるのかというと
わたしたちには
「自分にとって都合の悪い情報を無視したり
過小評価してしまうクセがある」から。
これを『正常性の偏見』といいます。
報知器が鳴っても
それを裏付ける証拠を見ない限り
行動に移せないのです。
また次の実験では
サクラの何名かが、すぐに避難を開始しました。
するとあっという間に、他の人も避難し始めたのです。
このように
「みんながする事が正しい」と感じるのを
『集団バイアス』と言います。
この二つが悪い形で組み合わされるのが
災害時の避難行動です。
5年前、宮城県石巻市の大川小学校では
裏山に避難せず、河の方に逃げてしまい
多くの教職員と児童が犠牲になりました。
「時間があったのになぜ山に逃げなかったのか」
この答えがこのバイアスなのです。
地震直後は、情報が錯綜していました。
避難しようとしていた裏山が崩れる可能性もあり
校庭で吐いている児童や
低学年を連れてろくに整備されていない山道を登るのは
諸々の二次被害も起こらないとも限りません。
ここでたった一人
多くの意思に背いて山に登る判断は
果たしてあなたにできるでしょうか?
このような仕事をしている私でさえ
自信はありません。
被災当時、宮城にいた私は揺れがおさまって
すぐ外の駐車場に避難しました。
すると誰かが
「もうすぐ10mの津波が来るらしいぞ」
と言っていたのですが
「まさかね」
と皆で話していましたし
被災地の真ん中は情報が遮断されて
正確な状況が分からなかったのです。
原発事故のニュースを聞いた時も同じです。
私の家は、現場から100kmしか離れていませんでしたが
外は晴れていて、おだやかで
目に見えない放射線の脅威なんてありませんでした。
外資系企業のスタッフが国外退去を始めても
「そんな大げさな。騒ぐことじゃないでしょ」
と、かなり冷めた目で見ていたのを覚えています。
『正常性の偏見』と『集団バイアス』は
災害時の生死の分かれ目になります。
岩手県釜石市では徹底的に
二つのバイアスを取る教育がされていました。
釜石市の避難三原則がこちらです。
①「想定にとらわれるな」
②「ベストを尽くせ、最善を尽くせ」
③「率先避難者になれ」
特に注目すべきなのが③です。
釜石の奇跡と呼ばれる避難行動では
子供たちは、自分たちだけでなく
家に残ろうとする親や祖父母にまで
「ここにいちゃだめだ!高台に逃げないとだめだ!」
と言って、命を救ったそうです。
大川小は、母がずっと昔に勤めていた学校でした。
「浜の子供たちは言葉は荒いけど、とても元気なの」
と生前うれしそうに話していたのを思い出します。
犠牲者の皆様のご冥福を
心よりお祈り致します。
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編集後記:
先日の朝日新聞に、震災で両親を亡くされた方が
結婚して赤ちゃんを授かり、
「家族のために生きるというぜいたくが、
やっとできるようになった」
と話していました。
彼の言葉を、重く噛みしめないといけないと思います。
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