ものすごく頭に来たり不安になったりすると
「自分はこれからどこに行けばいいのか」分からなくなり
本来の目的地からどんどん遠ざかる
方向音痴的な行動を取ってしまいがちです。
(ビルから出ると、駅とは全く逆の方向に歩いて行ってしまう
私のような行動パターンです…)
私もたまに感情を乱されます。
そんな時は「足下の泉を見よ」
というフレーズを思い出すのです。
今回は、この言葉を掘り下げて考えてみましょう。
この言葉は、哲学者ニーチェの言葉です。
せっかくなので、著書から引用してみます。
「きみの立っている場所を深く掘り下げてみよ。泉はその足下にある。ここではないどこか遠くの場所に、見知らぬ異国の土地に、自分の探しているもの、自分に最も合ったものを探そうとする若者のなんと多いことか。
実は、自分の視線が一度も向けられたことのない自分の足下にこそ、汲めども尽きせぬ泉がある。求めるものが埋まっている。自分に与えられた多くの宝が眠っている」
この言葉を実践している方が、元宮城県知事の浅野史郎氏。
ご自身が血液がんのT細胞白血病と診断された時
絶望していたのは1時間。
その後は『闘う』事を宣言したそうです。
当時浅野氏は宮城県知事を歴任された後
慶應義塾大学で教鞭を取り
2本のテレビレギュラーを抱えていましたが
治療に専念すると決め、大学の講義を休講にし
テレビ番組も降板します。
普通の人だったら、今持っているものに執着しそうな所ですが
どうして浅野氏はこんなに早く頭を切り替えられたのでしょう?
これについて、氏はこう語っています。
「これほどの吹っ切れた思いの裏には、「足下に泉あり」という言葉があったことは確かだ。人生で、人事異動も、人との出会いも、そして病気も、自分の意思ではなく、「上から」やってくる。そんなとき、「いやだな」と思わず、まず自分の足元を掘ってみなさい。目標は足元にある。掘ってみると、必ず泉が湧いてくる(2014年10月16日朝日新聞より)」
遠くの未来や不安はつかみどころがない幻影みたいなもので
確実な事は「今自分は何ができるか・何をすべきか」なのです。
写真で見た外国の泉の水を汲みに行こうとしなくても
自分の足下を掘れば必ず喉の乾きを癒せる水が湧き出します。
『やさしき道しるべの光よ
わが足もとを照らせ
ゆくすえ遠くに見るにあらず
ただ、ひとあしにて、足れり』
という賛美歌の歌詞とともに
ぜひ今回の記事を心に留めておいて下さい。
(参照)
『超訳 ニーチェの言葉』ディスカバートウェンティーワン
□■──────────────────────────□■
編集後記:
今日は感情マネジメント応用講座を開催しました。
入門講座などでご紹介するテクニックは、もう余り使わないのですが
上級講座で紹介するテクニックは、常に使います。
だからこんなに打たれ強いんです(笑)!
コメントをお書きください