Rion Hiragi/Resercher/Storyteller

柊のメルマガ     ~No.36 足下の泉を見よ〜

 

 

 

ものすごく頭に来たり不安になったりすると

「自分はこれからどこに行けばいいのか」分からなくなり

本来の目的地からどんどん遠ざかる

方向音痴的な行動を取ってしまいがちです。

 

(ビルから出ると、駅とは全く逆の方向に歩いて行ってしまう

私のような行動パターンです…)

 

私もたまに感情を乱されます。

そんな時は「足下の泉を見よ」

というフレーズを思い出すのです。

 

今回は、この言葉を掘り下げて考えてみましょう。

 

この言葉は、哲学者ニーチェの言葉です。

 

せっかくなので、著書から引用してみます。

 

「きみの立っている場所を深く掘り下げてみよ。泉はその足下にある。ここではないどこか遠くの場所に、見知らぬ異国の土地に、自分の探しているもの、自分に最も合ったものを探そうとする若者のなんと多いことか。

実は、自分の視線が一度も向けられたことのない自分の足下にこそ、汲めども尽きせぬ泉がある。求めるものが埋まっている。自分に与えられた多くの宝が眠っている」

 

この言葉を実践している方が、元宮城県知事の浅野史郎氏。

 

ご自身が血液がんのT細胞白血病と診断された時

絶望していたのは1時間。

その後は『闘う』事を宣言したそうです。

 

当時浅野氏は宮城県知事を歴任された後

慶應義塾大学で教鞭を取り

2本のテレビレギュラーを抱えていましたが

治療に専念すると決め、大学の講義を休講にし

テレビ番組も降板します。

 

普通の人だったら、今持っているものに執着しそうな所ですが

どうして浅野氏はこんなに早く頭を切り替えられたのでしょう?

 

これについて、氏はこう語っています。

 

「これほどの吹っ切れた思いの裏には、「足下に泉あり」という言葉があったことは確かだ。人生で、人事異動も、人との出会いも、そして病気も、自分の意思ではなく、「上から」やってくる。そんなとき、「いやだな」と思わず、まず自分の足元を掘ってみなさい。目標は足元にある。掘ってみると、必ず泉が湧いてくる(20141016日朝日新聞より)


 

遠くの未来や不安はつかみどころがない幻影みたいなもので

確実な事は「今自分は何ができるか・何をすべきか」なのです。

 

写真で見た外国の泉の水を汲みに行こうとしなくても

自分の足下を掘れば必ず喉の乾きを癒せる水が湧き出します。

 

『やさしき道しるべの光よ

 わが足もとを照らせ

 ゆくすえ遠くに見るにあらず

 ただ、ひとあしにて、足れり』

 

という賛美歌の歌詞とともに

ぜひ今回の記事を心に留めておいて下さい。

 

(参照)

『超訳 ニーチェの言葉』ディスカバートウェンティーワン

 

 

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編集後記:

 

今日は感情マネジメント応用講座を開催しました。

入門講座などでご紹介するテクニックは、もう余り使わないのですが

上級講座で紹介するテクニックは、常に使います。

だからこんなに打たれ強いんです()