Rion Hiragi/Resercher/Storyteller

東洋のシンドラー・杉原千畝氏は諜報活動も一流だった件

私が最も尊敬する人物に、第二次世界大戦中外務省の意に反してユダヤ人にビザを発行し、6000人もの命を救った杉原千畝(ちうね)氏がいます。

先日BSの『ザ・プロファイラー』という番組で、杉原氏が特集されていました。

私、恥ずかしながらこの番組を見る迄、杉原氏は外務省の意に背いてまで人命を救うためビザを発行した、恐ろしく勇気のある方という見識しか持っていませんでした。

しかしこの舞台裏では、確実にユダヤ人をリトアニアから脱出させ、日本を通過して第三国に安全に渡れる様緻密な計算がされていたそうなのです。

当時のヨーロッパは、ドイツとソ連がポーランドをめぐって対立し、ポーランドの上に位置していたリトアニアはドイツの迫害から逃れて来たユダヤ人が数多くいました。

杉原氏は、外交官としてリトアニアでドイツとソ連の情報を探り、日本に伝える任務に就いていたそうです。(氏は、実は満州の領事館にいた頃からそのたぐいまれなロシア語を始めとする語学力を活かし、政府関係の諜報活動に従事していました)

でもすぐにリトアニアにも安全な場所はなくなり、ソ連の支配下となり日本領事館も閉鎖される事になります。身の危険を感じたユダヤ人は、リトアニアを脱出して他国へ逃げようとしますが、それには途中に通過する日本のビザが必要。

そこで大量のユダヤ人が、ビザの発行を求めて杉原氏のいる領事館に押し掛けます。

ユダヤ人にビザを発行するのは、当時ドイツと同盟関係にあった日本の意に背く事であり、また発行の条件とされていた日本から出国した後の他国の受け入れ許可書、充分な資金など、ほとんどのユダヤ人は持っていませんでした。

ここで杉原氏は悩みます。

「目の前には救いを求めているたくさんのユダヤ人がいる。世界にたくさんいる優秀なユダヤ人を政府の意に沿ってこのまま見殺しにする事は、本当に日本の国益に叶うことなのか」

「外務省に逆らえば、外務省を辞めさせられるだろうし、家族にも害が及ぶかもしれない」

現代の私たちには想像もできないような重い選択だったに違いありません。

そして、ビザを発行する事を決意します。

しかしただ単に発行していた訳ではないそうです。

外務省もだまって見過ごす訳にはいきませんから、当然杉原氏の行動に対して文句をつけてきます。

そこで杉原氏の交渉能力が発揮されます。

わざと外務省にビザの発行に関して個別のケースを質問し、その返信が帰ってくるまでの期間を時間稼ぎとしてビザを発行し続けるのです。

外務省の文言を、「拡大解釈した」と付け加えて、書き続ける事6000人。

去らなければならない日も、電車が出発するまで書き続けました。

そして今、杉原氏に救われた6000人の子孫は、世界中に20万人いるそうです。

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私が驚いたのは、人道主義から来る行き当たりばったりの気持ちでビザを発行していたのではなく、その背景には満州にいた頃から培った国際感覚や、外務省に自分の選択に従わせる言葉を引き出す交渉能力を存分に発揮していた点でした。

杉原氏の人生は、選択と決断の連続でした。

それも自分と家族の命にかかわる、非常に難しいものばかりです。

圧力に屈せず、自分の広い見識からくる信念に従った決断を実行する勇気は心の底から尊敬します。